バルカー乗船記その10(2018年6月乗船14日目)中国青島沖錨地に到着!
東シナ海を抜け、ついに最後の海域である黄海に入った。黄海を航海するのは初めてだ。黄海と言うぐらいだから海が黄色いのかともちろん思ってはいなかったが、あまり綺麗な海ではない。
海洋生物(クラゲ?)が大量発生しており、本船の前方から大量に流れてくる。
この海洋生物が曲者で、船のエンジンを冷やしている冷却水は海水で冷却している。この海水の取り入れ口が船底にあるのだが、この取り入れ口にこいつらが吸い込まれると海水の流れが悪くなり、最悪エンジンがオーバーヒートしてしまう。
おそらく水面上だけを浮遊しているだけだと思われるので、積荷状態では喫水が深いのためこいつらが詰まることはないが、空船状態だと要注意だ。
海は穏やかだが、霧がすごい。中国の黄海および渤海は霧の名所として有名だ。おまけに大量の漁船が操業していることもあり、注意が必要だ。
船首からはっきりと居住区が見えない。視界は200mくらいと言ったところか。
午後になると霧も晴れて視界も良くなってきた。そろそろ錨地に到着し、錨を入れる時間だろう。錨地で何日待つことになるのだろうか。。
着岸中は上陸できたらいいな。
バルカー乗船記その9(2018年5月乗船12日目)南シナ海に入りました
船もは順調に航海を続け、フィリピンと台湾の間にあるバシー海峡を抜け、台湾の東側を北上し、南シナ海に入った。だいぶん揚げ荷池である中国に近づいてきた。
バシー海峡を抜けたあたりから海面状態が少し悪くなり、白波が立ち始めた。荷物を満載状態だと喫水(海面から船の底までの深さ)が18m位あり、足が入っているので少し時化ると船首で波が打ち上げられる。流石にこんな日は船首まで歩いていけない。
船首構造物が波によって損傷する場合もあり、侮れない。
船における機関部の作業時間は、朝8時から12時、13時から18時となっている。また、朝10時と昼15時に30分ずつお茶休憩がある。お茶休憩ではオーストラリアで買った色々なお菓子を出すので楽しみだ。(自腹、でも安い)
中国に近づいてくると揚げ地の指定連絡が入ってくる。どうやら貨物のバイヤーを探ししているため、いつもギリギリの連絡になっているようだ。今回は青島の近くにある港が揚げ地として、指定された。到着指定日は3日後である。
バルカー乗船記その7(2018年5月乗船9日目)スールー海を抜ける頃に携帯電波をゲット!
昨日午前中にスールー海に入り、穏やかな海面をトコトコと走ってきた。天候は相変わらずすっきりとしない。
海面状態もべた凪とまではいかないが結構穏やかである。
海面の模様はその時の気象海象条件によって色々な色や表情を見せる。その姿を観察するのも楽しい。今日の表情は細かい格子模様と言ったところか。
スールー海縦断で約440マイル(約814km)、12ノットで約36時間で縦断したことになる。ありがたいことに主機関もトラブルなく順調にプロペラを回している。
本船の主機関は2ストローク7シリンダのディーゼルエンジンで高さ約12m、全長約11m、ツインターボで最大出力30,000馬力を発生する。
昼過ぎ、反航船とすれ違う。やはりオーストラリアに鉄鉱石か石炭を摘みに行くのだろう。空船航海なので船が浮き上がり、バルバスバウが海上に出ているのがわかる。
夕方にはフィリピンのネグロス島に接近。これよりスールー海を抜けるまでこの島に剃って航行する。
最近はどの船にも衛星を使ったWi-Fiシステムが搭載されており、基本的にいつでもインターネットを使うことができ、自分が入社した時にはSSBと呼ばれる無線電話が主流で、インマルサット衛星電話が出てき始めただった。
インマルサット衛星電話の通話料は1分数百円で、新婚の頃は月の通話料が10万円位かかっていたような気がする。その時代と比べると基本いつでもどこでも連絡できるので、船上生活の質がかなり向上している。
逆に昔は一度船に乗ると下船するまであまり連絡をしなかったので、ある意味仕事に集中できたが、今はすぐ連絡が取れるため色々な情報が入るが任期満了まで下船できないので、フラストレーションがたまり、精神を病んだりまたは自殺する人間も出てきていると言う。確かに昔よりその手の話は格段に多くなった。
船のインターネットは衛星を使用していることから通信料を抑えるために通信速度を遅くしている。なので、昼休憩や夕方仕事が終わったあとなどはたくさんの乗組員が一斉に携帯電話を持ち出してインターネットを使い出すため、通信速度が劇的に遅くなる。
ラインのメッセージ1つ受診するのに数分、写真などのやり取りは不可能ってな漢字となる。なので、地上波が入ると快適なインターネット通信ができるのでみんな喜ぶ。
自分はGrobal Wi-Fi ルーターを使用し、電波が入るとこならどこでもインターネット通信をエンジョイしている。
一般的に船上生活水準は陸上より数十年遅れていると言われるが、通信環境もまさにそうである。その他たくさんあるが、次の機会に紹介したい。
しかし便利になれると昔に戻れないことがたくさんあるが、インターネットもその一つである。
久々に綺麗な夕日が出たが、眺めて写真を撮っているのは自分と当直航海士くらいで、後の乗組員はインターネットを使って誰かと通信しているのであろう。綺麗な夕日を眺めるくらいの心の余裕は持っておきたいものである。
我々しか眺めることができないんダゾ。
バルカー乗船記その6(2018年5月乗船8日目)シブツ海峡を抜け、スールー海に
早朝より主機関の出力をMaxまで上げ、危険海域に進んだ。甲板上の居住区や機関室の入り口などは厳重にロックしてある。
一番狭い場所は抜けたが、まだ油断はできない。南北航路の銀座とでも言おうか、狭い海峡を同じ航路をとって進んでいる船と遭遇する。自分自身は船乗り人生で初めてこの航路を通る。
本船の右舷側に平べったい島が見える。おそらくサンゴ礁に囲まれた美しい島なのだろう。テロリスト制圧地域の一部であるTawi Tawi島である。不審な船は周りにはいない。
スールー海は周りを島に囲まれているので、非常に穏やかな海域だ。
甲板上の巡検の最中に電線の貫通部シール材がなくなっているところを数箇所発見。きちんとシールしておかないと、海が時化て海水が上がってきたときに、貫通部から海水が侵入し、電気関係危機にトラブルが発生してしまう恐れがある。
午前中には危険海域を無事に抜けることが出来た。明日遅くにはスールー海を抜けるところまで到着するだろう。
バルカー乗船記その5(2018年5月乗船7日目)ジャワ海からセレベス海を進む
本船はジャワ海を北に向かって航行中だ。速力は約12ノット。1ノットが1.852kmなので、時速に換算すると約22km/hとなる。原チャリくらいのスピードでトコトコと走っている。天候は相変わらず曇り、海象状態は良好だ。時折スコールに見舞われる東南アジア特有の天候だ。
デッキ上の巡検にでる。全長約330mの船なので、居住区から船首往復で600mはあるだろう。異常なし、このあと機関室に向かう。
この航路は南北航路の主要ルートなので、船舶輻輳海域とまではいかないが結構船を見かける。
イギリス人の友人からもらった古い絵はがきの話
もうかれこれ20年前の話になる。当時は客船に乗組員として乗船していた。ある日船の修理で便乗していたイギリス人の技師と仲良くなり、彼がある日「これ、君にあげるよ。日本海運の歴史だから。ロンドンの骨董商に置いてあったんだ。」と、5枚の古い絵はがきをくれた。
うひょー!「おいおい、こんな貴重なものもらえないよ。」というと、「なあに、そんなに高いものでは無いし、もし気がひけるのならビールでも奢ってくれよ。」
その晩は船内の士官専用バーでビールをたらふく奢ってあげたが、もちろん自分もたらふく呑んだ。
もらった時には日本郵船の貨客船で配られた絵はがきだという事はなんとなく分かったが、詳しいことはわからず現在下船休暇中で時間もあるしちょっと調べてみた。
Wikipedia情報によると、1枚目は日本郵船運航の「相模丸」の絵はがきで三菱横浜船渠にて1940年7月に竣工した。S型貨物船(船名の最初がSで始まる)7隻のうちの1隻で南米西岸航路に従事していたが、1941年に旧日本海軍に徴用され、1942年にダバオ湾で米潜水艦に雷撃され沈没した。
なんという事でしょう!この絵はがきは戦前の相模丸で配布されたものと予想され少なくとも78年前の絵はがきだ。。。
上の3枚の絵はがきは風景画で、裏面を見ると「S.S. HAKUSAN-MARU」と書いてある。この船は日本郵船運航の「白山丸」で、1923年(大正12年)に三菱長崎造船所より竣工した。
H型貨客船4隻の最終船として欧州航路に従事していたが1940年に旧日本海軍により徴用、1944年6月にサイパンから疎開する人たちを載せて日本に向け航行中に米潜水艦により撃沈された。この絵はがきが単純計算で79年前のものとなるのか。。
風景画も当時の姿を表しているので、貴重な遺産になるかと思うが、「白山丸」の運命を見ると居た堪れない気持ちとなる。。
こちらも日本郵船運航の「伏見丸」で、姉妹船は神社名シリーズ5隻のうちの1隻で伏見神社にちなんでつけられている。1914年(大正3年)に三菱長崎造船所から就航し、欧州航路に従事した。単純計算で105年前だ。
1943年に房総半島で沈没したとなっているが、Wikipediaにはこれ以上詳しい話は出ていなかった。
船にはファンネルマークと呼ばれる海運業者ごとの識別模様や塗装を施しているが、日本郵船のファンなるマークは黒色に赤2本線(通称二引きマーク)が施されているが、この船には無く、真っ黒な煙突をしている。
日本郵船ホームページで調べて見ると、1929年(昭和4年)に二引きのファンネルマークの表示を決定したとなっていた。我々には二引き常識だったが、黒色のファンネルだったとは驚きだ。
ということは、この絵はがきはファンネルが黒時代のものと仮定すると少なくとも90年以上も前のものとなる。恐ろしくなってきた。。
なお船名の前にS.Sとあるが、これはSteam Shipの略で蒸気駆動の主機でプロペラを回している船という事になる。そのため、イラストの煙突からはかなりの黒煙が出ているが、昔は今と違って石炭を燃料にして走っていたので、かなりの黒煙を吐きながら走っていたのが想像できる。
最後も日本郵船運航の「平野丸」で、船名がHから始まるので前出の「白山丸」と姉妹船のH型貨客船かと思いきや、こちらも神社名シリーズ6隻のうちの1隻だとのことだ。ちなみに前出の伏見丸とは違う神社シリーズのようだ。1908年に三菱長崎造船所で竣工したので、約119年前に就航したことになる。
「平野丸」は就航後、欧州航路に従事していたが第1次世界大戦が勃発後も政治的観点からそのまま欧州航路に従事していたためUボートのターゲットとなり、1918年英国リヴァプールから日本に向け航行中にアイルランド沖で撃沈された。
「平野丸」の歴史を確認したところで、この絵はがきの表側に書いてあった文章を訓み解いてみると、第1次世界大戦の真っ最中、本船上で息子がお母さんに宛てて書いた文章と思われる。癖のある筆記体なので私のレベルでは一部解読不能、および文法上おかしいと思われるところがあったがそのままとした。全体としては以下のような感じかと思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Dear mother,
Tomorrow morning
we arrive at Marseille. Before
we get to Giblartar strait, a French
destroyer stopped us. We didn't get
any XXX XXX just sailed on. The
French lights we lovely. There are very few people a board so do
or anything so far. I have beer splendid all the time. We will get
some views tomorrow, If I go ashore
& XXX. Much love you. Pole (名前?)
親愛なる母へ
明日の朝、私たちはマルセイユに到着します。ジブラルタル海峡前でフランスの駆逐艦に停船させられました。私たちは特に妨害を受けることなく(?)航海を継続しました。幾人かの人が退屈がっていましたがゲームもしくはその他の娯楽に興じるしかありません。私は美味しいビールを常に飲んでいます。
もし明日上陸することができれば景色を見ることができるでしょう。
愛しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
無茶苦茶こじつけた訳かもしれないが、だいたいこんな感じかと思う。しかし100年以上前の生々しい絵はがきが手元にあることを考えると、ここにあるべきものでは無いのかと思う。差出人を見つけだして渡すこともほぼ不可能だし、日本郵船歴史資料館に寄贈する方がよいかと思う。
どなたか本英文を解読できる方がいらっしゃいましたらご連絡頂けると幸いです。
インターネットで色々サーチしていると、日本郵船のホームページに平野丸慰霊のニュースが出ていた。日本海運が立ち上がった当初、船の運航は英国人が主体となって行なわれていたと聞いている。しかし絵はがきがここまで繋がるとは思ってもいなかった。
ただの絵はがきかもしれないが、歴史の奥深さを感じるものである。同じ船員として感慨深いものがある。
色々な船や船員にまつわる話があるが、一般的に全く知られておらず、このような話を以下に後世に伝えていくか、、難しい問題である。
このブログを通して少しでも色々な人に伝えて行ければと思う。
バルカー乗船記その4(2018年5月乗船5日目)インドネシアのロンボク海峡を通過
今朝、インドネシアのLombok channelを抜け、インド洋からジャワ海に入った。天候は曇りだが海は穏やかだった。しかし気持ちもどんよりとしてくる。
ロンボク海峡はインドネシアのバリ島とロンボク島間の狭い海峡の事であるが、今回船はあまり多くなかったみたいだ。しかしこの様な狭い海峡や水域は見張り警戒レベルをあげて通過している。
若干の同航船、反航船と遭遇するも数が少なく、おそらく結構余裕の航海だ。
本船左舷側にジャワ島を見る。かれこれ15年前に客船で寄港したっきり縁がない。旅行で一度は行って見たいものだ。
雲は相変わらず多いが、海がだいぶん凪いできた。これで天気が良ければ最高の景色なのに残念だ。
ロンボク海峡を無事通峡した。船のエンジン(主機関)が回すプロペラが、船尾の幾何学的な模様をした水流を発生しており、これも見ごたえあると思う。
ぜひ明日は晴れてくれるといいな。
初めて天体写真に挑戦した話(失敗談)
せっかくニコンD810を買い、フルサイズデビューしたので天体写真にチャレンジしてみた。D850が出るまでは、ニコン史上最高画質と歌われており、ネットにも美しい天体写真が公開されている。
1月21日にスーパームーンが見れるという事で、まず月の撮影にチャレンジしてみた。レンズは壊れる前のAS-F NIKKOR 24-120mm F/4G EV VRを使用した。もちろん三脚も購入済み、船でも三脚は使えるだろう。
ネット知識でカメラをマニュアルモードにし、レリーズがないのでタイマーを使用した。マシュアルモードやタイマーの仕方がわからん〜。
最初の1枚。明るい〜!そうか、今日はスーパームーンがみれる日だった。シャッタースピードがまだ早いか。
月が煌々と輝いている。。。F値絞りすぎか?シャッタスピードはまだ早い?
まだカメラに慣れていないせいもあり、また天体撮影が初めてということもあり、月の撮影は全くダメだった。しかし何かの光の筋が写っている。(流れ星か?)
クレーターがクッキリ写った月の写真が取れたはずだったが。。。精進あるのみ。
気持ちを入れ替えて星の撮影をしてみた。ん?案外良いぞ?
ということで初めての天体写真だったが、カメラの設定について勉強する必要がある事が分かった。やはり簡単に綺麗な写真は撮れない。。
次は50mm単焦点を使ってみよう、こっちの方が綺麗な写真が取れるはずだ。
(自分の実力ではなくレンズのせいにしています。)
バルカー乗船記その3(2018年5月乗船4日目)今日は煙突点検の巻
今日の朝焼けは綺麗だった。天候は曇りだが、海象は穏やかだった。ポートヘッドランドをポートヘッドランドを出港して4日目、今のところ航海を順調に続けている。南北航路第一の難関、ロンボク海峡通峡は明日の予定だ。
さあ船内巡検だ。これは船首に装備されている錨、きちんと格納されており問題なし。航海中に荒天に遭遇すると錨が落ちてしまう事がある。自然の力は恐ろしい。
今日は船の煙突点検を行った。煙突内には主機関や電気を作る発電機、蒸気を作る補助ボイラーの排気管が通っている。
ちなみに以下の写真は私が乗っている船ではなく、すれ違った船の写真を流用させてもらったが、機関室から垂直に各種排気管が煙突上部に向かって走っている。それらを確認しながら最終的には黄色のマルで囲まれている煙突頂部に登る。
煙突頂部には各種排気管から出たススが貯まる事があり、最悪それに引火することもあるので入念に点検。また、排気管頂部はアヒルの首のように曲がっているが、この部分が腐食、もしくは亀裂が入って脱落する事があるので、その状況のチェックも行う。
煙突頂部からの景色は流石に船のメインマストの次に最高峰なので眺めが良い。
本船には」通常の船と異なり、フリーフォール式救命艇がついているので、通常の船の様に両舷に救命艇が設置されていない。
退船時には櫓の上に設置されている救命艇に乗り込み、救命艇内のレバーを引くと海面に落下する機構になっている。空船時には海面までかなりの高さがあるので、できる事なら乗りたくない。
煙突点検も無事に終わり、問題ない事が確認できた。さあ、今日も美味しいビールを満喫しよう。
Ocean view at Indian Ocean (Australia)
うろこ雲か、タタミイワシ食べたいな。
AF-S NIKKOR 50mm f/1.8Gで試し撮り
買ったばっかりのニコンD810+AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR だったが、早速レンズを壊したため、修理完了までD810がお蔵入りになるところであったが、その時間が勿体無い。
いろいろ調べて次のステップとして撒き餌レンズと呼ばれる単焦点レンズのAF-S NIKKOR 50mm f/1.8Gを購入したのでいくつか試し撮りした写真を紹介したい。
F1.8のレンズなので、室内での撮影もそのままいける。AF早いし私みたいな素人でもそこそこの写真が撮れるので勘違いしそう。
やはりレンズが185gしかないので非常に軽く、犬の散歩時にカメラを首からぶら下げて歩いても全然苦痛ではない。
F値を絞ればボケも綺麗に表現され流ので、撮影が楽しくなる。50mmという画角が中途半端という意見もありますが、特に問題なし。手ぶれ補正が付いていないが、レンズが軽いのかあまり手ぶれしない印象。乗船時の荷物としてカバンの中に入れておこう。
ネット情報を参考にして、当該レンズをヤフオクにて18,000円にて落札。初めての単焦点レンズだが性能も値段も大満足。乗船中の撮影に大活躍してくれるだろう。
海も動物だらけ その3(鳥さんたち)
魚やくじらに続き、海といえば海鳥。走っている船に飛んできて休憩する鳥や、住み着く鳥、船がかき分ける波から飛び出てきたトビウオを狙っている鳥たちといろいろなバリエーションがある。
航行中はカツオドリの飛来が多く、遠くから飛んでくるわけではなく海の上に浮かんでいたり、漂流物の上で休んでいたりとしているようだ。
陸地が近いとさらに違う種類の鳥たちが飛来してくる。カモメは錨地で飛来してくることが多いが、近くに漁船がいるケースが多い。
陸地が近いとそれ以外の鳥たちが時々やってくる。数日間滞在してどこかに飛んでいくものや、1航海一緒に旅をする鳥などもいる。また、船上でご臨終する鳥たちも少なくない。
東シナ海では伝書鳩が時々飛来してきて船と一緒に旅をする。時には行きの東シナ海で乗船し、ペルシャ湾で原油を積んで戻ってくるときの東シナ海までずっと便乗していたことがあった。
その間、遠くには飛んで行かず船上構造物あたりを飛び回っていた。餌はメスマン(厨房のアシスタント)が毎日与えていた。時には機関室に入り込むことがあり、大捕り物をすることがあった。
ともかく5匹とも無事に下船できたのは何よりである。乗組員の生命や船体、貨物の安全を管理するだけではなく、乗船してくる動物たちも安全に過ごせるよう、今後も目を光らせて行きたい。
バルカー乗船記その2(2018年5月乗船3日目)気張らず落ち着いて頑張ろう
なんとかポートヘッドランドを出航した次の日、やはり乗船したばかりで緊張しているのか、朝早く目が覚めた。オーストラリア近海の空は美しい。素晴しい朝焼けで気合いを入れ直した。
中国までの航海は約2週間、ポートヘッドランドを出港後、ずっと北に進んでセルベス海を抜け、海賊が出没するスールー海に入り、フィリピン西岸を航行。それから台湾東岸を進む南北航路だ。
船に慣れるまで暫くかかるが、気張らず落ち着いて頑張ろうと思った。
暫くは天候も良く、海象状況も穏やかとの予報である。空気も澄んでいて潮の香りをいつでも味わえるのは洋上ならではである。今日から甲板状の鉄鉱石の洗い流し作業が始まる。(ついでにカモメの爆弾もね。)
バルカー乗船記その1(2018年5月乗船日)バルカーに乗船したときの話
面白くないかもしれないが、備忘録のために2018年5月に乗船したバルカーに乗船する時に起こった話を書き留めておきたい。
乗船命令を受け取り、乗船地であるオーストラリアのポートヘッドランドまで飛行機で行くことになった。飛行機はカンタス航空で広島から羽田へ飛び、夜行便でシドニー、それからシドニーからパース経由ポートヘッドランドという旅程だった。
羽田からは夜行便ビジネスクラスで、使い勝手は悪かったがシドニーまで快適なフライトだった。
乗船時は基本的にスーツケース1個、バックパック1個にしているが、中にはスーツケース2個にバックパックという強者もいる。乗船期間は数ヶ月となるのであれやこれやと詰め込むと楽勝で30kgオーバーとなるので、25kgを目安に準備している。ちなみに船員用チケットは荷物の重量制限が40kgとなっている。
シドニーに到着後、入国審査を受けるためにスーツケースをピックアップしたところ、キャスターの1個が破損していた。
25kgもあるスーツケースのキャスターが破損したら、船に乗船するまでかなりの苦労が予想されたが、とりあえずLuggage Claim Counterに行こう。しかし入国審査には大勢の人がいたため、Luggage Claim Counter には行ったものの十分に話す時間がなく、係員もポートヘッドランドで申告してくれとのことだったので、そのまま荷物を預け、パース経由ポートヘッドランドに向かった。
ポートヘッドランドには夕方の6時に到着、やれやれようやくここまで来たかと胸をなでおろしたのも束の間で、スーツケースが待てど暮らせど出でこない。。。
今晩はここで1泊するので、明日ホテルに届けてもらう約束をするが、キャスターが壊れておりそ、の手続きをしようにも現物がないので届き次第確認しますとの地上係員の説明。代理店の人も早く行きたがっていることもあり、あとは地上係員と代理店係員に任せ、泣く泣く空港を後にした。
代理店の車に乗って移動し始めた時に代理店係員が船のスケジュールが早まって今着岸中。なのでこれから港に向かうとのこと。OMG!!
はい、そのまま乗船し、交代者と引き継ぎ開始。出航時間は翌日の1500時とのことで、船長経由で荷物の件を代理店にプッシュしてもらった。荷物がこないとかなりまずい、最悪1ヶ月後の寄港時に受け取りとなる。交代者が未使用の下着数枚を恵んでくれたので、それでなんとか凌げるか。。。
交代者の下船用ボートで荷物はなんとか来たのでとりあえずホッとしたが、壊れたキャスターについてはメールでカンタス空港にクレームするも全く返事なし。代理店もノーアクション。結局自分で修理に出している。
カンタス航空なんか大嫌い!
どうでもいい話ですいません。荷物を受け取った時にはキャスター周りを入念に点検しましょう。自分で修理に出しましたが、他の3輪の根元にも亀裂が入っているとかでさらに修理費用がかさみました。(涙)
バルカー乗船記番外編(2018年8月)オーストラリア錨地のカモメたち
いや〜、オーストラリアは美しい国である。というかオーストラリア周辺が美しい。昨年夏ごろオーストラリア西岸から中国に鉄鉱石を運ぶ船に乗船した。基本オーストラリアではDirect on berth (沖待ちがなく、時間調整しながら直接接岸すること。)が常で、あまり沖待ちをすることが無かったが、昨年8月の航海では沖待ちが4日間ぐらい発生した。
鉄鉱石積み出し施設が故障したとかで、鉄鉱石積み出しに遅れが生じてかなりの数の鉄鉱石運搬船が同じ錨地で沖待ちをしていた。
いつもの日課である船内巡見に出ると、甲板上に無数のカモメが飛来して休憩をしていたが、海鳥が大量にいるということは餌が豊富にあるということだろう。やはり環境に厳しい国だけあるようだ。
ハンドレールに並んでいるカモメたちを見ると、心が穏やかになる気がする。しかし、大量の爆弾を投下して行くので、甲板部には迷惑な話だろう。まあ、出港後に海水洗いをするのであるが。
空気が澄んでいるのか、それともオーストラリアの冬という季節からなのか、空と海のコントラストが美しい。特に朝焼けや夕焼けが最高で心が清くなる。
船乗りの特権ですね。