イギリス人の友人からもらった古い絵はがきの話
もうかれこれ20年前の話になる。当時は客船に乗組員として乗船していた。ある日船の修理で便乗していたイギリス人の技師と仲良くなり、彼がある日「これ、君にあげるよ。日本海運の歴史だから。ロンドンの骨董商に置いてあったんだ。」と、5枚の古い絵はがきをくれた。
うひょー!「おいおい、こんな貴重なものもらえないよ。」というと、「なあに、そんなに高いものでは無いし、もし気がひけるのならビールでも奢ってくれよ。」
その晩は船内の士官専用バーでビールをたらふく奢ってあげたが、もちろん自分もたらふく呑んだ。
もらった時には日本郵船の貨客船で配られた絵はがきだという事はなんとなく分かったが、詳しいことはわからず現在下船休暇中で時間もあるしちょっと調べてみた。
Wikipedia情報によると、1枚目は日本郵船運航の「相模丸」の絵はがきで三菱横浜船渠にて1940年7月に竣工した。S型貨物船(船名の最初がSで始まる)7隻のうちの1隻で南米西岸航路に従事していたが、1941年に旧日本海軍に徴用され、1942年にダバオ湾で米潜水艦に雷撃され沈没した。
なんという事でしょう!この絵はがきは戦前の相模丸で配布されたものと予想され少なくとも78年前の絵はがきだ。。。
上の3枚の絵はがきは風景画で、裏面を見ると「S.S. HAKUSAN-MARU」と書いてある。この船は日本郵船運航の「白山丸」で、1923年(大正12年)に三菱長崎造船所より竣工した。
H型貨客船4隻の最終船として欧州航路に従事していたが1940年に旧日本海軍により徴用、1944年6月にサイパンから疎開する人たちを載せて日本に向け航行中に米潜水艦により撃沈された。この絵はがきが単純計算で79年前のものとなるのか。。
風景画も当時の姿を表しているので、貴重な遺産になるかと思うが、「白山丸」の運命を見ると居た堪れない気持ちとなる。。
こちらも日本郵船運航の「伏見丸」で、姉妹船は神社名シリーズ5隻のうちの1隻で伏見神社にちなんでつけられている。1914年(大正3年)に三菱長崎造船所から就航し、欧州航路に従事した。単純計算で105年前だ。
1943年に房総半島で沈没したとなっているが、Wikipediaにはこれ以上詳しい話は出ていなかった。
船にはファンネルマークと呼ばれる海運業者ごとの識別模様や塗装を施しているが、日本郵船のファンなるマークは黒色に赤2本線(通称二引きマーク)が施されているが、この船には無く、真っ黒な煙突をしている。
日本郵船ホームページで調べて見ると、1929年(昭和4年)に二引きのファンネルマークの表示を決定したとなっていた。我々には二引き常識だったが、黒色のファンネルだったとは驚きだ。
ということは、この絵はがきはファンネルが黒時代のものと仮定すると少なくとも90年以上も前のものとなる。恐ろしくなってきた。。
なお船名の前にS.Sとあるが、これはSteam Shipの略で蒸気駆動の主機でプロペラを回している船という事になる。そのため、イラストの煙突からはかなりの黒煙が出ているが、昔は今と違って石炭を燃料にして走っていたので、かなりの黒煙を吐きながら走っていたのが想像できる。
最後も日本郵船運航の「平野丸」で、船名がHから始まるので前出の「白山丸」と姉妹船のH型貨客船かと思いきや、こちらも神社名シリーズ6隻のうちの1隻だとのことだ。ちなみに前出の伏見丸とは違う神社シリーズのようだ。1908年に三菱長崎造船所で竣工したので、約119年前に就航したことになる。
「平野丸」は就航後、欧州航路に従事していたが第1次世界大戦が勃発後も政治的観点からそのまま欧州航路に従事していたためUボートのターゲットとなり、1918年英国リヴァプールから日本に向け航行中にアイルランド沖で撃沈された。
「平野丸」の歴史を確認したところで、この絵はがきの表側に書いてあった文章を訓み解いてみると、第1次世界大戦の真っ最中、本船上で息子がお母さんに宛てて書いた文章と思われる。癖のある筆記体なので私のレベルでは一部解読不能、および文法上おかしいと思われるところがあったがそのままとした。全体としては以下のような感じかと思う。
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Dear mother,
Tomorrow morning
we arrive at Marseille. Before
we get to Giblartar strait, a French
destroyer stopped us. We didn't get
any XXX XXX just sailed on. The
French lights we lovely. There are very few people a board so do
or anything so far. I have beer splendid all the time. We will get
some views tomorrow, If I go ashore
& XXX. Much love you. Pole (名前?)
親愛なる母へ
明日の朝、私たちはマルセイユに到着します。ジブラルタル海峡前でフランスの駆逐艦に停船させられました。私たちは特に妨害を受けることなく(?)航海を継続しました。幾人かの人が退屈がっていましたがゲームもしくはその他の娯楽に興じるしかありません。私は美味しいビールを常に飲んでいます。
もし明日上陸することができれば景色を見ることができるでしょう。
愛しています。
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無茶苦茶こじつけた訳かもしれないが、だいたいこんな感じかと思う。しかし100年以上前の生々しい絵はがきが手元にあることを考えると、ここにあるべきものでは無いのかと思う。差出人を見つけだして渡すこともほぼ不可能だし、日本郵船歴史資料館に寄贈する方がよいかと思う。
どなたか本英文を解読できる方がいらっしゃいましたらご連絡頂けると幸いです。
インターネットで色々サーチしていると、日本郵船のホームページに平野丸慰霊のニュースが出ていた。日本海運が立ち上がった当初、船の運航は英国人が主体となって行なわれていたと聞いている。しかし絵はがきがここまで繋がるとは思ってもいなかった。
ただの絵はがきかもしれないが、歴史の奥深さを感じるものである。同じ船員として感慨深いものがある。
色々な船や船員にまつわる話があるが、一般的に全く知られておらず、このような話を以下に後世に伝えていくか、、難しい問題である。
このブログを通して少しでも色々な人に伝えて行ければと思う。