心に残った1泊2日の呉への旅 初日午後(海上自衛隊第一術科学校)
一行は次に呉の沖合にある江田島の海上自衛隊第一術科学校へ向かった。江田島までは橋が繋がっているので呉から倉橋島を経由して江田島まで行ける。
自分がドライバーなので道中の写真は撮れなかったが、風光明媚な土地で、海岸線を通る道を進んで行った。多島美な景色が最高だった。呉から江田島まではフェリーも出ているので、フェリーの旅もオススメだ。
呉から倉橋島までは音戸大橋を渡って行くが、ループ式の道路(ぐるぐる道路)で橋につながっており、呉の観光スポットになっている。5月頃にはループ道路の周りに植えてあるツツジが咲き乱れ、美しい景観に彩りを添えている。
音戸大橋の下は船が普通に航行するので、それに当たれば豪快な船の航行シーンを見ることができる。
なんかすぐ江田島の海上自衛隊第一術科学校に到着した形になるが、ここは地元では旧海軍兵学校とも呼ばれるくらい知名度が高い。ここでは海上自衛隊の幹部候補生が日夜勉学に励んでいるとの事だ。
見学はどなたでもできるが、見学ツアーの時間が指定されている。我々は現役自衛官がメンバーの中にいるので、その方が同行者として案内してくれたので時間指定なく中を見て回れることができた。
これは大講堂と言われる建物で、1917年(大正16年)に建てられたそうだ。こちらは正面玄関で、一般見学者はここからの出入りはできないとの事だった。石造りの重厚感あふれる建物で、100年以上前に建てられた建造物とは思えないくらいしっかりした作りだった。
こちらが裏口となる。一般見学者はこちらの入口から中に入ることができる。木のドアが3枚あるが、分厚くて頑丈な歴史を感じさせるドアだった。
内部も当時のデザインを感じさせる佇まいで、入学式や卒業式などのイベントなどで現在もここを使用しているそうだ。声が響きやすい構造となっているのでイベントなどでマイクを使わず地声でやっているそうだ。
大講堂のすぐ横には幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)がある。こちらも建物は古く、1893年に竣工したそうだ。現在も使用されており、見学は外観のみだ。
同庁舎裏側にある廊下はNHKドラマ「坂の上の雲」の撮影で使用されたそうだ。まだ見ていないのでいつか見たい。
外観からはとても100年以上前の建物には見えない。ネット情報によると、第2時世界大戦の時に呉は度重なる米軍の爆撃により壊滅的なダメージを受けたが、江田島の旧海軍施設は戦後に連合軍の施設として使用することを考え、爆撃対象から外されていたとの事だった。
見学の最後は教育参考館だ。こちらの建物内には日露戦争からの旧海軍の歴史資料が展示されていた。入ってすぐのところに東郷平八郎の遺髪が納められた廟があった。その他、特攻隊や特殊潜水艇などで亡くなった方の遺書が展示されていた。
以前、知覧特攻平和会館に行ったがその時にも多数の遺書を見学し、戦争がもたらした悲惨な出来事や悲壮感あふれる文章に心を打たれたが、自宅近くにもこのような場所があることを今日まで知らなかった。
戦時中は一般船員も多数犠牲になっており、このような悲劇を2度と繰り返してはならないと思うが、一般人1人の思いだけではどうしようもない。
一体何が言いたいのかわからなくなった。。
教育館の横には戦時中の兵器が展示されていた。
これで見学は終わりだが、日本人として歴史を知ることは非常に大事だと思うし、世界へ出て働く人は日本人としての誇りを持つためにも必須だと感じた。
観光スポットとしても人気のある海上自衛隊大惟一砲術学校、ぜひ見学に来てはいかがでしょうか。
さあて、宴会に向かいますか。
その前に、江田島に来る前に海上自衛隊の護衛艦が近くに見えるところを確認、帰りに写真撮影のため寄った。アレイからすこじま公園だ。日本で唯一潜水艦を直近で見ることができる公園だそうだ。レトロ感たっぷりで休日には大勢の人で賑わうそうだ。
呉駅から歩いて数分、宿泊予定のホテルからも歩いて数分の瀬戸内バル五十六という店だった。
10年以上前の部署でのメンバーが一堂に揃うことは非常にまれだと思う。乗船中のメンバーが2名、それ以外が呉に集合した。なんということでしょう・・
もちろん宴会は盛大に行われた。なので店内の写真はほどんどありません。
1人4,980円で飲み放題食べ放題、瀬戸内レモンサワーが美味しく、またたくさんの日本酒も飲み放題で、結構みんな酔っ払い、昔の話に花を咲かせていた。楽しい。
宴会の後は夜の呉に流れていきました。
つづく